妖怪ウォッチの今後に関する考察
2014年の紅白はとあるキャラクターたちが支配したと言っても過言ではない。
「妖怪ウォッチ」のキャラクターたちが、紅白に登場。3曲も歌う(うち1曲は嵐の曲)という、前代未聞の動きが起きた。
それだけ2014年は「妖怪ウォッチ」旋風が起こった年であったといえる。新年を迎えた今後しばらくもジバニャンの姿を様々な場所で見ることになるだろう。
一方で、それまでキャラクターコンテンツのトップにあったと言えるポケモンの姿はメディアではあまり見かけなかったように思える。
果たして、ポケモンは妖怪ウォッチに駆逐されてしまったのか。ピカチュウはジバニャンに喰われてしまったのだろうか。そのあたりを少しだけ吟味してみたい。
「妖怪ウォッチ」は今後も盛り上がるのか?
妖怪ウォッチの紹介は省く。公式サイトを見てほしい。
主人公はケータ君。
そして相棒のウィスパー。
(画像はどちらも公式サイトより)
この一人と一匹(?)が街中の妖怪と友達になる話である。
そして今主人公やその相棒を差し置いてメディアに露出しているのが
ジバニャンである。
(画像は公式サイトより)
愛らしいルックス。そしてみんな大好き猫。暗い過去を持ちながらギャグ性を兼ね備えた人気キャラに相応しいキャラクターである。
ところが、紅白に出演したキャラは5匹中4匹猫モチーフのキャラクターである(しかもほぼジバニャンの色を変えただけ)。
ジバニャンの派生キャラ展開ばかりである。一方でポケモンはピカチュウ以外にもヒトカゲ、アチャモ、ポッチャマ、ニャースなどなど様々な色形のキャラクターがおり、それぞれ人気だ。
ポケモンにある「多様性」が、妖怪ウォッチでは薄い。この差が今後の展開において厳しいものとなっていくのではないだろうか。
「妖怪ウォッチ」の海外展開はできるのか?
ポケモンは世界展開されており、その人気は衰えていない。では、そのポケモン発祥の地で流行る妖怪ウォッチは世界でも流行るのだろうか。
妖怪ウォッチの持つ要素は、「だれとでも友達になる」「敵は世の中に蔓延するストレス」などである。これらは、日本の現代社会にも共通する要素であると言えないだろうか。
また、アニメ版においては、大人が見て理解できる様々な日本のドラマのパロディの散りばめなど、日本が過去創造してきたコンテンツを活用したものとなっている。
ここでポケモンを見てみる。過去、ポケモンもアニメにおいてドラマ等のパロディが含まれたりしてきたが、基本的にポケモンは「生物」という枠を離れない。様々な生物がいて、それらを捕まえたり育てたりといった、リアル世界での生物の採集・育成と似たようなことができる。生物採集・育成は世界中どこでも行われる。冒険にでかけ、生物を見つけ、観察し、育てる。この一連の流れはきっと世界共通だろう。だからこそポケモンは世界中で受け入れられ、ここまで拡大・継続して広まっていったのだと考えられる。
では、果たして「妖怪ウォッチ」には世界共通である要素は存在するのか。私が見つけられていないだけかもしれないが、先に挙げたような「みんなともだち」「ストレスが敵」といったようなことは、今日本が抱えている問題を写しだしたものなんじゃないかな、とも見えないだろうか。
(もしかしたら販売側が世界展開を考えず、国内で流行らせて流行を終わらせることを想定して構成しているのかもしれない)
妖怪ウォッチを持っていなければ友達じゃない?
そして個人的に妖怪ウォッチが登場してから抱いていた疑問であるが、
妖怪ウォッチは妖怪と友達になり、共に戦うことが求められるけれども、現実世界において、妖怪ウォッチのグッズを持っていないと友達になれないのか。
妖怪ウォッチグッズは一時期品薄状態にまでなった。それほどグッズがたくさん売れたのである。品薄状態になれば、手に入れられていないひとも出てくる。腕時計型のグッズだけでなく、妖怪の描かれたメダルも品薄になり、人気キャラのメダルはとてもレアなものとなった。
子どもたちの間では話題についていける・ついていけないで大きく優劣が決まる。もしそれらを持っていなければ、友達同士で妖怪ウォッチ遊びや、妖怪ウォッチに関する話についていけなくなってしまう。そうなった場合、持っていない子を外して遊ぶことも考えられる。そうなった場合、
妖怪ウォッチをもっている子とは友達だけど、持っていない子とは友達じゃない
という状況が生まれる。それは、「妖怪のだれとでも友達になる」妖怪ウォッチのコンセプトから外れてしまうのではないか?
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ここまでで結論を述べると、
「妖怪ウォッチはポケモンのように世界で流行らない!」
…と確実に断言できるわけではないので、
「妖怪ウォッチはポケモンが世界で人気を集めた理由(多様性、生物、冒険など)を踏襲していない」
とまとめておく。
勿論、妖怪ウォッチは嫌なこと・悪いことを妖怪というキャラクター化したという意味では大きな功績だと考えられる。しかし、「嫌なこと・悪いこと」は世界共通ではない。日本だけに通用するものかもしれない。もしこの「嫌なこと・悪いこと」のキャラクター化が世界的にも認められ、受け入れられ、各国での嫌なこと・悪いことのキャラクターが登場しだしたら、妖怪ウォッチは爆発的に売れるかもしれない(ただ、嫌なこと・悪いことを全部「妖怪のせい」なんて責任転嫁する行為は日本特有な気もするけれどね)。
妖怪ウォッチの今後の展開に注目しておこう。
上手くまとまらなかったのはきっと妖怪のせいなんだ。そうなんだ。